あんねあんね?
ふわふわでゆらゆらなの。
そいでね?
えいって ちゅかまえおうとしたらば、
むこーに ふるるんて泳いでっちゃうの。
ん〜ん、お水の中と ちやうのよ?
このへん、くうの お顔のトコとか上のほとか。
ぷかんて してて、ゆらゆらしてゆの。
そいからね?
まゆいの ぷかぷかしてゆの、
今度は そ〜って触ろとしたらば、ぱちんて。
お水がパッてとんで、ぱちんて消ゆるの。
「しゅごいの、きれーなの、まんまるなのっ。」
「ほほお、そんなまで面白かったのか。」
「うっ♪」
嬉しそうに咲き笑い、
頭へ高々と結った髪のお尻尾が弾むほど、
大きく大きく頷く幼子の、
至って無邪気にはしゃぐ様子へは、
周囲の皆様もついつられて頬笑むばかり。
お館様のお膝に迎えられ、
今日は何をして遊んでおった?と問われたのへと、
あんねあんねと勇んで語ったのが先の次第。
童子という見かけ通りの素直さに加え、
天狐としての豊かな感受性を備えてもおり。
こうまでのあれやこれやをわくわくと語ったからには、
さぞかし沢山のびっくりや楽しいを、
見て聞いて受け止めたのだろうことが偲ばれて。
ただ、この幼さにしては口も回る方ながら、
滑舌が甘いのと幼児語が入り混じるせいか、
「で、結局 何を相手に遊んでおったのだ?」
「………お師匠様。」
にっこり微笑ったまんまでの、
蛭魔の言いようが“これ”なものだから。
実は判ってなくて笑ってましたと言ってるようなものですよと、
書生のセナくんが…畏れながらという小声のそれながらも、
窘めるようなお声を差し挟むのも、いつものことだったりし。
「ふわふわで、ゆらゆらしていて、宙に浮いていて。」
「きれいで丸い…か。」
う〜んと唸ってしまわれるお館様とセナくんを、
きょろんと見上げる仔ギツネさんの頭越し、
「きっと あの蛇野郎と遊んでたんだろうからよ。
あやつが喰ろうた様々の、魂とかじゃねぇのか?」
くうは天狐だから、俺らには見えねぇもんが見えもするだろし。
憤然とした様子で言い放ったのが、
漆黒の髪を撫でつけ、いかにも雄々しき鋭角な風貌をした、
術師の頼もしき侍従、蜥蜴一門の総帥の葉柱さんであり。
こちら様へと何かとちょっかい出して来る、
蛇野郎こと阿含さんという大邪妖を毛嫌いしておいで。
だってのに、怖いもの知らずなお館様のみならず、
我が子のようにと愛おしんでる くうにまで、
何かと粉かけているのが気に食わず。
くうの側でも懐いているものだから、
ついつい悪く言う癖が出てしまっての言だったのだが、
「だったとしても、だったらくうが素直に喜ぶか?」
「どういうこったよ。」
「忘れたか? お初のお目見えん時のこと。」
そう。今でこそずんと懐いているくうちゃんだけれど、
初めてのご対面では、精一杯に威嚇をしの噛みつきのと、
あんまり友好的な態度ではなかった坊や。
それもそのはず、
たいそうワイルドに食ったばかりらしき獲物のキジの、
断末魔の悲鳴や恐怖ごとまとってた相手。
神の使者の眷属だけに、そんな不吉には警戒も出ようと、
蛭魔が直々に助言してやったので、
「あれ以降はあいつ、一応気に留めているらしいしの。」
「ほほぉ〜〜。」
執り成すような言い方をする蛭魔にまでもその態度とは、
“年頃の娘を持つお父さんですか。”
ホンマやね、大人げないったら。(苦笑)
それはともかく、
「あ…そか。もしかして“しゃぼん”かも知れません。」
ぱちんと手を打ったのが、セナくんで。
ひょいと立ってゆくと、広間の奥の壁へと作りつけられた棚を開け、
そこから冊子を1冊持ってくる。
「ほら、西方の風俗紹介の中にあったじゃありませぬか。」
「おお、そういえば。」
油脂と曹達(そうだ)という灰で合成したもの、
水で泡立て塗布してから流せば、根の深き執拗な汚穢を洗い去るとある。
「このあぶくは、あまりに軽いので宙を飛ぶとか。」
「そんな妙なもんが本当にあんのかよ。」
大人の皆さんが額を寄せ合い、あーだこーだとお話し中なの、
何のことやら判らないまま、
それでも仲間はずれはいやなのか、
「くうも、くうも見ゆvv」
輪の中へ強引に割り込んでの、
セナくんが持って来たご本を一所懸命に覗いてる、
何とも罪のないお顔で…罪作りなお子でもある、
そんなここ数日の くうちゃんなのでした。
〜どさくさ・どっとはらい〜 08.5.01.
*大邪妖の皆様にしてみれば、
ちょっと日本海越えて大陸までなんてのは、
さして大事ではないらしいです。
(但し、縄張りの問題はありましょうけれど。)
セッケンの1個2個、子供のおもちゃとしてくすねて来るくらいは
お茶の子だったらしいですが、
………しゃぼんだま遊びなんて、よく知ってたなぁ、阿含さん。(苦笑)
*さて、ちょこっと余談の補足を。
しゃぼんだまといえば“石鹸”ですが、
これって実はとんでもなく歴史が古いというのを御存知でしたか?
祭壇へ据えた供物の獣の脂が、篝火の灰と混ざって流れたところが、
それはきれいに洗われていたのを見て、
頑固な汚れを落とすものとされたのが始まり…となっていたのだそうですが、
そうやって聖書の中に出て来るのが、一番古いと思われていたところが、
もっと昔の何と紀元前4500年に記されたとされる粘土板が、
イラクで発見されたのだそうで。
そうまでルーツは古かったらしいです、石鹸て。
*ルーツはともかく、今どき風の石鹸を作るようになったのは、
時代もちょっと下がって8世紀ごろだそうで、日本では奈良時代。
イスパニアやイタリアで、家内工業的に作られていたとか。
日本へは室町時代の末期頃に渡来しましたが、
何たって舶来の品ですからまずはお殿様への献上品として。
どうやら香料だと思われていたらしく、
あと、どういう解釈なのか下剤だとされてもいたらしい。
民間にまで急速に広まらなかったのは、
高価だったからと言うよりも、
日本では水がふんだんにあったんで
そうまで強力な洗浄力とやらが必要とされてなかったからだそうで。
まま、肉食じゃあないから皮脂汚れの質も違ったでしょうし、
風呂好きでもありましたから、
着物の汚れだって西欧の方々とは根本的に違ったでしょうしね。
*ちなみに、江戸時代の風俗にも出て来る“しゃぼんだま”は、
主には石鹸ではなく、
ムクロジやトチの実から取った液で遊んだものを指すのだそうです。
(ムクロジというのは羽根つきの玉に使う実のこと。)
めーるふぉーむvv 

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